旅先で見た幻日(げんじつ)。太陽の左右に光が出現する現象です。

家族であれば愛して当然か? 答えはNoだ!!パート①

家族であれば、無条件で愛情を持てる

と思っている人は、とても恵まれていると思います。

私にはそういった類の認識は全くなく、そのことに対し自分でも残念に思っています。

この記事では、血が繋がっているからと言って必ずしも仲良くできると言うことはないし、仲良くする必要も無いと思っている私が、なぜそう思うようになったのかを紹介するシリーズ第1弾として、

私が産まれ育った家庭とそのメンバーである家族に対し、愛情や愛着を感じなくなるに至った経緯をご紹介いたします。

私は、幼少期はそうでもありませんでしたが、物心ついてからは、自分が産まれ育った家庭(以後「実家」と書きます)では、疎外感を味わっていました。

意見も言えない、言う気にならない、何を言ってもどうせ聞いてはもらえないだろう、という気持ちで、いつも何かを我慢して過ごしていました。

そうなった主な原因は、母や姉から、「大切にしなくて良い者」として扱われていたこと、親から他のきょうだいと平等に扱われなかったことだったように思います。

母は私を「ダメな子」として扱っていた

思い返せば、母からは、常に姉と、時に母と比較して「ダメな子」として扱われていたように思います。

私の幼少期には、母は、

個性を尊重にする

ということを大切にしており、我が家は我が家、他所は他所、あなたはあなた、という教育方針を持っており、他所の子と比べられたことはありませんでした。

むしろ、個性豊かな私の在り様を喜んでいたように思います。

この、他者と比較しない、ということは、私にとってとてもありがたかったです。

でも、そんな「他所の子と自分の子を比較しない」母も、自分の子供の中での優劣は気になって仕方がなかったようです。

高校生にもなると、親も娘の成績が気になるのでしょう。

元来好き嫌いが激しく、好きなことはとことん得意だけれど嫌いな事はとことん不得意、と言う私は、テストでは常にトップクラスの点数を稼ぐ教科がある一方で、赤点ギリギリの点数を取ってしまう教科もある、という有様でした。

そんな私に母は、

「私ならこんな点を取ったら恥ずかしくて親に言えない」
「お姉ちゃんの時はこんな点数見たことも無い」

と、良い点を取ったことには全く触れず、悪い点を取ったことに対して批判するばかりでした。

母の話を聞く限り、母は相当な成績優秀者だったようです。

姉もかなりの成績優秀者で、親が思う「出来の良い子」そのものでした。容姿が私より優れていた点も、母が姉を大切にする一因だったのでしょう。

ちなみにですが、理系博士である私ですが、生物・英語・国語の成績は常に良く、数学・化学・社会の生活は常に悪い、と、どちらかと言えば文系教科の成績が良かったです。

(母の目から見た)生活態度の悪さが一層母を頑なにした

私が高校生時代を過ごしたのは、1990年代の後半で、「女子高生(当時はJKという単語は無かった)」が色々と取沙汰されるようになった頃でした。

私は、と言えば、所詮田舎の女子高生ですから、援助交際やブルセラショップとは無縁の生活を送っていました。なにせ生娘でしたし。

それでも、髪を明るく染め、短いスカートをはき、ルーズソックスをはくその外見は、母を不安にさせるには十分だったようです。

母は機嫌が悪い時などに

いかに私が出来損ないか
私の何がいけないか

を口にするようになり、私と母の溝はどんどん深くなっていきました。

なお、通っていた高校はぼちぼち名の知れた進学校で、それゆえか大らかな校風で、生徒はみな好きな格好をしていたため、特に私の格好が目立っていたということはありませんでした。

そのうち母は、自分が長女に対する時と、次女に対する時で対応を変えていることを隠しもしなくなりました。

何も知らない、または見ないようにしている父が母に対し、

「母さんは子供を差別しないのが偉いよね」

と言い、私がそこにいるにも関わらず、母が

「気付かれないようにしているだけだけどねw」

と答えた時の私の気持ちは、今思い出しても言葉に出来ません 。

自分で家庭を築き、高い自己肯定感を持てるようになった今であれば、

「いやいやお母さん、バレバレだよ」

と言えますが、当時はただただ傷付くばかりでした。

姉の態度もどんどん高圧的になっていった

私の姉は、妹に対してはジャイアニズムの権化のような人物で、物心ついて以降、私は彼女に対して好意的な感情を持ったことがありません。

そんなジャイアン的な姉の態度は、自分より妹をおざなりに扱う母の態度を見て、ますます高圧的になっていきました。

親の目が届かない時はもちろんのこと、親の目がある時でさえ、私に対する態度は、外でそんな態度は絶対に人にとらないでしょ?と思わせるものでした。

大して広くも無い家に住んでおり、居間と私の部屋はうす~い壁一枚で仕切られていて会話は筒抜け、という状況で、

休日の朝など、私が寝ていると思っている母と姉が、居間で私の悪口で盛り上がっているのを、自室で聞いていました。

私は、起きていると気付いてほしいという一心で、色々と生活音を立てました。

やがて、

「あれ?あの子起きてない?やば!でもまぁいっかwww」

といったような声で悪口は終わる、そんなことが何度もありました。

そんな母や姉と心のつながりが実感できるでしょうか?

できる訳がありません。

大人になった今でも姉は変わらない

大人になり、お互いが家庭を持つようになってからも、姉が心の中で

妹の気持ちなど考えなくて良い
常に自分の気持ち・要望を優先して当たり前

と考えている様子はありありと見て取れました。

それでも私は、「家族で仲良くしたい」という気持ちもあったので、姉の自宅での集まりに参加していました。

私と姉の様子を見ている夫はいつも

「嫌な思いをすることが分かっているのにどうして行くの?」

と不思議そうにしていましたが、それでも機嫌よくニコニコと付き合ってくれていました。

私の中でも、姉の家に行くこと自体が時間の無駄なんじゃないか?という思いは徐々に大きくなっていました。

そして、「もういい」と思わせる決定的な出来事が起きました。

姉と距離を置くことになった決定的な出来事

実家では、クリスマスに皆が集まって、それぞれにプレゼントを贈りあう、という、子供達が家庭を築いてから母が始めた習慣がありました。

ある年、姉から、甥っ子(姉の息子)がとあるキャラクターグッズを欲しがっているのでプレゼントはそれにして欲しい、と連絡がありました。

その商品は1万円程度の品で、私は甥っ子が好きだったので、甥っ子が望むならば、と、それをプレゼントとしました。

ところが、姉から私の娘へのプレゼントは、何処にでも売っている、推定価格500円程度のプラスチックのおもちゃだったのです。

相手に1万円程度のプレゼントを要求したのに、自分は500円程度のプレゼントを用意する。

人って、よっぽど軽んじている相手にでないと、こんなことしないと思います。

この時も、もうダメかもな、と思いましたが、まだ決別するまではいきませんでした。

それからしばらく経ち、遠方の父が尋ねてくるのでお互い料理を持ち寄ってパーティーをしないか?との連絡が姉からありました。

私は奮発して色々と食材を準備し、意気揚々と姉の家に向かいました。

材料を持ち寄って一緒に料理しよう、というコンセプトの集まりだったので、食材を持ち寄り、姉宅の台所を借りて調理し、用意した料理にみんなとても喜んでくれました。

パーティーが終わり、さぁ帰ろうか、と、準備をしていると、

「はい、これ、忘れないで持って帰ってね」

と、姉が笑顔で袋を差し出します。

袋の中には、私が調理したことによって出た生ゴミが入っていました。

生ゴミの入った袋を笑顔で差し出す姉に、心底ゾッとしました。

他所のご家庭にお邪魔した時に、ゴミを持ち帰る配慮はあってしかるべきかも知れません。

でも、家族間でそれを求められたら、私は違和感を感じるし、何より、姉が我が家を訪れた時は、姉はゴミを捨てていくのです。

正にジャイアニズム。

自分は良いけど妹はだめ。

この時、あぁ、この人とはもう付き合えない。と私は思ったのでした。

私にとって、お互いに家庭を築いてからの姉との付き合いは、

「家族だから」

という、義務感にも似た意識に基づくものだったので、私に対して他人としての礼儀を求める姉に対し、無理して付き合う理由はなくなってしまったのです。

姉との決別は完了した

その後、姉から集まりのお誘いがありましたが、断りました。

自分の言うことを聞いて当たり前だった妹が誘いを断ったのが衝撃だったのか、お断りのメールには返信も無く、その後、冠婚葬祭を除く連絡が来ることは無くなりました。

もともと、姉も私のことを快く思っていなかった、ということもあるかもしれませんね。

冠婚葬祭では互いに顔を合わせ、それはそれはにこやかに会話しますが、それ以上の関わりは無く、たまに会う親類同士、といった風情でお互い接しています。

それまで、顔を会わせる度に心に積もっていた暗い感情が無くなって、本当にスッキリしました!

親しき仲にも礼儀あり

正にこれです。

家族だから少しぐらい良いだろう
家族だからこれぐらい許されて当然だ

という気持ちで、私の感情を大切に思わず私に接するような人物とは、たとえ血が繋がっていたとしても、私は関わりたくありません。

将来的に私が非常に困窮することがあったとして、行政に頼ることはあっても、姉に頼る事は絶対にないと断言できます。

助けてくれるとも思えませんしね。

実家の家族と仲良く出来ないのは確かに悲しいことですが、自分の感情を犠牲にしてまで付き合う必要は無いと考えています。

実家から解放されてやっと自分の人生が始まりました!!

リケ女2号の私見に満ちたひとりごと

私にとって産まれ育った家は、少しでも早く抜け出したい場所でした。

実家で暮らしていた時は、常に不機嫌な父も、姉と比較して私を批判する母も、私を下僕のように扱う姉も、とことん甘やかされて育った弟も、私にとって愛情を持つ対象ではありませんでした。

弟に対する感情は、完全に僻み根性ですね。

自分で家庭を築いた今となっては、両親に対しては、感謝の気持ちを感じています。

自分でお金を稼ぐ大変さを知った今では、金銭面で何不自由なく育ててくれたことには感謝の気持ちしかありません。

なにせ、なかなか博士号が取れなかった私は30歳まで学生でしたからね。

母に対しても、常に清潔な衣服を着させてくれ、住環境を整え、平日も休日も毎日美味しい食事を準備してくれたことに対し、感謝しています。

365日毎日家族のために食事を準備したり洗濯したり、私にはできません。

一方、姉に対しては、自分から関わることは無い。なんなら今後関わらなくても良いとさえ思っています。

嫌いを通り越して無関心です。

これに関して、私は、

子供の不仲の原因は親の育て方にもあると思っています。

子育てにノータッチだった父ももちろん悪いです。

でも、次女に対する長女の、時に暴力を伴う理不尽を見過ごしたり、特に、長女と一緒になって次女の悪口で盛り上がるなど、母親として決してしてはならない事であると声を大にして言いたいです。

生物学者的意見を言わせてもらえば、子供は自分の遺伝子を持った、いわば自分の分身です。

自分の子を愛せない
= 自分の遺伝子を愛せない
= 自分を愛せない

ですからね。

ある意味可哀相な人かもしれませんが、それを子供にぶつけるのは間違いでしょう。

遺伝子は親に由来し、そしてその遺伝子がどう発現するかは主に生活環境、すなわち育て方で変わってくるのですから。

自分の子供の優劣なんて、子供を作った時の自分の卵子の良し悪し、もしくはあなたの夫の精子の良し悪しが原因じゃないの?と思っちゃいます。

自分の遺伝子を分けた子を産む以上、子が自分の期待に沿わない個体であったとしても、それは自分の責任です。マジで。

いや、まぁ、自分の遺伝子も、自分のご先祖様から伝わって来たもので、それに責任を取れというのは酷な話なのかもしれませんけど。

また、どんなに子供を愛せなかったとしても、

親である以上、子供に平等に接する努力は最大限にすべき

だと思います。

さてさて

かく言う私も、自分の子供の姉弟間のパワハラ、モラハラに悩む日々を送っています。。。

我が子達の間では、

弟が嫌いな姉と姉に好かれたい弟、弟に高圧的な態度を取る姉と姉に好かれようとご機嫌を取る弟、の構図が出来上がってしまっています。

でも、自分の姉に対して全く愛情を感じない私は、娘に対して、

「弟を好きになれ」

なんて、とても言えません。

だって、いくら血がつながっていても愛情を感じないことがあると知っているのですから。

娘にとって弟は、突然やってきて親の愛を奪った憎い相手であり、好きになれないなら仕方がないのです。

でも、私の愛する息子に高圧的な態度を取ることを見逃すことは出来ません。

    • あなたがどんなに弟を嫌いでも、私は息子をとても愛している
    • 息子を愛している私は、息子を害するあなたに対して不快感を覚える
    • 産まれた順番が違っても姉と弟は対等な存在だ(その代わり、親も、姉だから、弟だからと産まれた順番によって役割を与えたり、何かを押し付けることは絶対にしない)
    • 弟を嫌いなら嫌いで構わないが、高圧的な態度を取ってはいけない、これは我が家のルールである
    • どうしても弟が嫌いで家庭のルールに従えないのであれば、自分(娘)が家を出るしかないが、就職するまでの生活費は親が負担する

と伝えています。

同じ親から産まれたからと言って、必ずしも仲良くできると言うことは無いし、仲良くする必要があるとも思いません

もちろん、仲良くできればそれに超したことはありません。

愛し合うことができなくても、一方が他方を虐げるようなことは無いよう、親がしっかりコントロールしていけたらな、

そして、メンバーの誰1人として「早く出て行きたい」と思うことのない家庭に出来たら良いな、と思っています。

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