研究をやめたいと思う時

私の周りには、大学や研究機関の研究者から一般企業の会社員に転身した友人が複数名います。

数年前、ポスドクの友人知人が複数名、突然、研究を辞めてしまった時期がありました。彼らがやめた一年後くらいに、その事実を知ったのですが、当時は日本の転職・就職市場は活気付いていた頃でした。ポスドクを続けるよりも会社で働く方が給料がいいことを知り、辞めていった人もいたかもしれません。私は、その中に、私が憧れを持って追いかけていた先輩がいたことに愕然としました。

その衝撃は、この業界に見切りをつけようかと悩むほどのものでした。

おやびん(2号)もこちらに書いていますが、

ポスドクを続けるにもその先就職を続けるにも、業界でのコネクションはある程度大事な要素です。やっぱり所属していた研究室によって、ポストの得やすさが変わるものです(私やおやびんの研究室ではポストを得ているヒトがかなり少ないです)。そして、明らかなデキ公募(採用者が決まっている公募)もあります。

デキ公募では、採用予定者の顔が思い浮かぶほどの、技術や専門分野が、公募内容に記載されていることもあります。また、公募に応募を続けていると、自分が落ちた公募で採用された人を見つけてしまうことがあります。そして、採用する側、される側のコネクションを改めて確認してショックを受けてしまうのです。

私はまだ若輩の研究者ですが、

私から見ても、デキ公募がダメだと思う理由は複数あります。

・大学や組織で派閥を作りやすくなる。大学全体の組織全体の利益よりも、採用する側にいる誰かの個人的な利益につながる状況になりかねない

・特定分野、特定研究室だけ優遇され、日本の研究分野が偏る

・研究能力の高い人、力のある人が、見落とされる

ことだと思うのです。

時々先生方が採用したい人の人物像に関して、

大学は教育機関で、雑用が多いので、研究だけやっているような人は採用するのは難しい、雑用もこなせる人材が欲しい、だから業績が多くてもかえって敬遠される場合がある、といったことを言うのですが。

ポスドクとして働いている期間で、雑用も多くありました。公募への応募だって、1週間かけてとりくむ雑用でした。ポスドクはみんな当然のようにこなすのですよね。これまで、公募のために、多くの時間を費やしてしまいました。これがなかったら、どれだけ研究が進み、論文が書けたことでしょう。だからこそ、期待を込めて書いた応募の正体が、デキ公募だったと知ると絶望します。

このコネ採用。デキ公募。よく調査して、見直して欲しいと思います。

私には溺愛する息子がいますが、たとえ身内でも、公平な目は大事だと思っています。私が採用する側だとしたら、長い目で見ると採用される本人のためにも、組織のためにもならないので、デキ公募はしません。

デキ公募はしないと決めていますが、公募も、社会へのキャリアも含めて、後輩達の行き先の面倒をみられるようになりたいとは思っています。そんな状況になるのは、まだまだ先の話で、夢のまた夢ですが。


 

 

 

 

 

 

 

 

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