今年度に入り、ニュースで目にするたびに思う。
自殺ニュース、聞くのがツライ
またツライと思いつつも報道に興味を持って、与えられる情報をそのまま知りたいと思ってしまうことが、さらにツラさを助長してしまう。
何故あの人が、どんな悩みを抱えていたのか、
私も周りに自殺者がいたので余計に探りたくなってしまいます。
大学に入ると、
あそこで自殺しているーーが発見された、ーーが飛び降りて、なんて噂を必ず、どこでも、一度は耳にしました。
そしてわたし自身も、一度、身近な人の自殺に向き合うことになってしまいました。
当時、その人が悩んでいることは知っていました。でも、ことを起こすと知っていたら、何が何でも止めただろうと思うのに。
なぜ、何もしなかったんだ、と当時は攻めて攻めて攻めまくる日々を過ごしていました。
その人が亡くなった後、生々しく残された残骸、ことを起こすために準備されたものが放置されているものを見て、誰にも知られぬうちに勢い良くゴミ箱に捨てました(本人が残した遺書があり、自殺と判断されたため、本人が放置した持ち物などには捜査は及ばず、放置されていました)。
そして、その人のことを考えすぎて、寄り添いすぎて、自殺の考えが想像以上に身近なものになってしまっていました。それは、生きる苦しみからの解放だったのか、と理解しててしまっていました。
でも、わたしは自殺は推奨しません。わたしは絶対にしません。
周囲に与える影響が絶大だからです。周囲にその実例を示し、身近なものと知らしめてしまうと、一気に自殺が現実的なものになります。そんな考えとは疎遠だった人が現実的にその行為を考えるようになってしまうのです。
そして影響は、自分の好きな家族や友人が一番強く受けるのです。
本人は、そんなに悲しまれるとは思っていなかったかもしれないですが、少し関わっただけの人、話したことさえない人に対しても影響は絶大なものでした。
わたしは、当時から10年ほど、心の片隅にある自殺願望をぬぐいきれませんでした。10年経ってやっと、亡くなった本人との思い出の品を捨てる決心がつき、もう思い出しても泣かないと決めました。そして自分を責め続けるのをやめました。思い切るまでにあまりに長く苦しい時間でした。同じ経験を、わたしの好きな家族や友人にはさせてはいけないと思うのです。