HSPという言葉をご存知ですか?
Highly
Sensitive
Person
頭文字をとって「HSP」
直訳すると「非常に敏感な人」という意味で、人よりも非常に強い感受性と繊細さを生まれつきの性質として持っている人を指す言葉です。
HSPという言葉を初めて知った日
ある日、一緒にブログを書いているリケ女1号からHSP自己診断ページへのリンクが送られて来ました。
1号曰く、きっと2号も当てはまるから(⬅︎おいっ!)、セルフチェック試してみて、と。
上記リンクに飛ぶと、以下の質問が書いてあります
(質問内容は全てサイト “The Highly Sensitive Person“ のセルフチェック項目をコピーしたものです)。
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- 感覚に強い刺激を受けると容易に圧倒されてしまう(不快に感じる)
- 自分をとりまく環境の微妙な変化によく気づくほうだ
- 他人の気分に左右される(周囲の顔色をうかがってしまう)
- 痛みにとても敏感である(痛いのが苦手である)
- 忙しい日々が続くと、ベッドや暗い場所などプライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所に引きこもりたくなる(忙しい日が続くと煩わしい事柄から逃げ出したくなる)
- カフェインに敏感に反応する(コーヒーを飲むと途端にシャキッとする)
- 明るい光や、強い匂い、ザラザラした布地、サイレンの音などに圧倒されやすい(不快に感じる)
- 豊かな想像力を持ち、空想にふけりやすい
- 騒音に悩まされやすい
- 美術や音楽に深く心動かされる
- 時々神経が擦り切れたように感じ、1人になりたくなる
- とても良心的である
- すぐにびっくりする
- 短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
- 人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になるかすぐ気づく
- 一度にたくさんのことを頼まれるのがイヤだ
- ミスをしたり物を忘れたりしないようにいつも気をつけている
- 暴力的な映画はテレビ番組は見ないようにしている
- あまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる
- 空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応が起こる
- 生活に変化があると混乱する
- デリケートな香りや味、音、音楽などを好む
- 同時に自分の中でたくさんのことが進行すると気分が悪くなる
- 動揺するような状況を避けることを、普段の中で最優先している
- 大きな音や雑然とした状況など強い刺激に悩まされる
- 仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる
- 子供のころ、親は教は自分のことを「敏感だ」とか「内気だ」と思っていた
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これら質問に、14項目以上当てはまるとHSPである可能性が高いそうです。
私は、23項目当てはまります。
完全にHSPですわ。
自分が人より物事を気にしやすい、傷付きやすい性格であることは自覚していましたが、その性質が固有名詞があるようなものだったなんて、ちょっとびっくりしましたね〜。
そしてなんと、HSPって、人類の2割程度しかいないらしいのです。
完全にマイノリティですわ。
さらに、上記の質問に一つも当てはまらない人も多いと云う事実には心底驚きました。
設問の中には、私にとっては、
「大きい方をした後にはトイレットペーパーでお尻を拭く」とか、
「屋外に出るときには靴を履く」
といったぐらい「当然」であることもあるのに、そうでない人の方が多いとはこれいかに??
例えば、人に不快感を与えないように振舞うことを心掛けるとか(設問No. 12)、ミスをしないように常に注意を払う(設問No. 17)なんていうことは、特に社会で暮らす上で絶対に必要なことだと私は考えています。
しかし、極端なことを言えば、それらを重要と考える人よりも、それを重要と考えない人の方が圧倒的に多いなんて、本当にびっくりしました。
でも、そういう人の方が多いのが事実であると。
なるほど〜。
なんかもう、本当に目から鱗がポロポロこぼれますわ。
HSPは生き辛いと思う
人からみたらどうでも良いと思われることが気になって仕方ない私は、何をするにも人より時間がかかります。
「え?そんなことが気になるの?」
と人に言われたことも多々あります。
公募書類を準備する時も、封筒に書いた宛名がちょっと曲がっているとか、封筒が汚れているとか、些細なことが気になって何度もなんども封筒を用意し直すため、準備にものすごーく時間がかかります。
会社勤めをするようになった今では、社外の方に対してはもちろんのこと、社内の方に対してさえも、この書き方は失礼に当たるのではないか?誤解を与えるのではないか?と悶々と考えてしまい、なかなかメールが送信できません。
また、人付き合いにおいては、傷つく必要もない場面でやたらと傷付いてしまい、相手のことを嫌いになってしまいます。
例えば、自分が間違っていたりやり方が不適切だった場合には、批判されたり、否定されても何とも感じないのですが、理不尽なことを求められたり、約束を守ってもらえなかったりすると大げさに傷付いてしまいます。
私に対して理不尽なことを求めたり、私との約束を守らない人間というのは、
私という人間を、理不尽に扱って良い人間であると、そして、約束を守る必要のない相手だと認識しているのだと感じてしまうからです。
もしかしたら、HSPでない人というのは、そもそも人付き合いにおいてそこまで慎重にならず、私が理不尽に扱われたと感じるようなことでも、理不尽な対応をしているという意識は全くないのかもしれません。
いつもいつも、勝手に傷付いて人を嫌いになってしまうので、人付き合いがとっても苦手です。
いや〜、もう本当に、世の中敵だらけですよ!
もっと気楽な人間に生まれたかった!
HSPだと分かって気が楽になった
自分が生きてきたこの40年あまりで、自分が人付き合いに対して、人より非常に繊細で気にしすぎる性質であるということは、嫌という程実感して来ました。
それがただの「気にしすぎ」ではなく、脳の構造による、機能的にもたらされている性質であること、そして、そういった性質を持たない人間の方が多いという事実を知って、
「あ〜、なるほど、そーゆーことだったんだ!!」
と、目の前がパッと開けたようにも感じています。
自分が気にするほど他人は気にしていない
ということを、なんとなく知識としては知っていましたが、初めて腑に落ちました。
きっと、自分がやっちまったと感じる時も、相手はそこまで気にしていないでしょう。
自分が傷付けられたと感じる時も、相手にはそんなつもりは全くなかったのでしょう。
例えば私は、道で石に躓いて転んだとして、石が私を転ばせようとしてそこに存在したと考え、石に対して腹を立てたりはしません。
石は石であり、色んな経緯でただそこに在り、たまたま私の不注意で、または運悪く私が躓き転んだだけなのです。
もしかしたら、私に心ない言葉を吐く人も、約束を守らない人も、道端の石ころと同じように、何の悪意もないのかもしれません。
たまたまそこに転がっていただけ。
たまたま、私に対してその対応をとっただけで、その中には、私に対する悪意も善意もないということかもしれません。
そうであれば、石ころが何処にどんな様相で転がっていようとも、それを踏んで足が痛かったとしても、私は、
「おっと、石踏んじゃったわ」
ってなもんで、なーんにも気にする必要は無いのでしょう。きっと。
自分の勝手な性質のせいとはいえ、人付き合いが本当に苦手で人と付き合うことを極力避けている私にとっては、そのことを知れたというだけでも、自分がHSPであると分かって本当に良かったです。
HSPの存在を知り長年の疑問が解けた
このHSPは、人間だけでなく、野生生物にも存在するそうです。
まぁ、HSPが脳の構造上の性質であることを考えれば、人限定の性質で無いのも当然かもしれません。
私は研究者時代から色々な野生生物を採取してきましたが、その中で長年疑問に感じていることがありました。
どんな生き物の群れの中にも、簡単に捕まえられる個体と、すばしっこかったり用心深かったりして、なかなか捕まえられない個体がいるのです。
そして、小さい(若い)個体には捕まえやすいものも多く、大きい(成長した)個体には捕まえにくいものが多いのです。
生まれつき用心深い個体だけが大きく成長できるのか?
その個体はたまたま生き残るチャンスがあっただけだが成長の過程で多くを経験して用心深くなったのか?
どっちかな〜?と考えてきましたが、HSP理論で言えば、前者が正解ということになります。
いや〜、納得!
野外で遊ぶ時にいつも感じていた疑問が解決して良かったです。
自然界においては、どうやらHSPの方が生きていくのに有利であるように思えますが、
社会性を持つ人間としては、どうなんでしょうかね?
HSPと非HSP、どっちが有利なんでしょうか?
職業や場面によっては、HSPの方が有利なこともあるんじゃないかな?と、個人的には感じています。
リケ女2号の私見に満ちたひとりごと
自分がHSPであると知って、率直に感じたのは
HSPでない人とはどう頑張っても仲良くなれそうにない
ということです。
誰が悪いということではなく、単純に、完全に性質の違うものだから交われないな、と感じました。
水と油、ってやつです。
人からどう見られているかは置いておいて、私は、仲良くしたいと感じる相手に対しては、なるべく良くしてあげたいと思い、そのように行動します(これも恐らくHSPの特性です)。
すると、相手も同じように私に接してくれる場合もありますが、往々にして、「なんでも言って良い相手」「何をしても良い相手」と認識されてしまうようです。
そうなると、舐められてしまい、(私の思う)友達としての気遣いや思いやりを受けられなくなります。
仲良くしたいと思えば思うほど舐められてしまう、悪循環です。
HSPである私は傷付きまくります。
元来、友人はいてもいなくても良いと考えている私ですから、そうなってしまったら、さっさと見切りを付けて、その相手と距離を取ってしまいます。
そうなると、こちらから連絡することはなくなり、相手からの連絡に応える頻度もガクッと減るので、私が急に無視するようになったと捉えられていることもあると思います。
なので、「友達」と言える相手は片手で数えるほどもおりません。
男女関係においても同様で、どんどん舐められて、中には逐一浮気を報告してくるようになったクソ男もいました。
そんな中、こちらが愛情を注げば注いだだけ、時にはそれ以上の愛情で返してくれる素敵な男性と出会って結婚したのですが、そんな夫もやっぱり、上記の設問ではなんと24問 Yes の、私以上に立派なHSPなのでしたw。
という訳で、HSPでない人とはなるべく距離をとった方が良いかもな、と思っている私が人付き合いで傷つかないように心がけていることがあります。
それは、
見返りが全くなくても良いと思える相手にだけ愛情を注ぐ
ということです。
この人であれば、たとえ何も返してくれなかったとしてもかまわない。
と思える相手に対してだけ、エネルギーを使うように心がけています。
なお、この「何を返してくれなかったとしてもかまわない」には、お外で出会う全く知らない人も含まれます。
人嫌いの私ですが、お外で見知らぬ人に優しくしてもらった時などにはとても嬉しく、物凄く暖かい気持ちになります。
そして、自分も人に対してそうありたいと思うのです。