山で見付けた誰かの家。すでに空き家でしたが、恐らく、蛾が幼虫の時期を過ごす “巣網” かと思われます。横幅 40 cm程度の大豪邸でした。

民間企業に転職して幸せを感じる人

大学の研究室から民間企業へと籍を移して何年も経った今でも、アカデミアでの就職を諦めたことについて、ふとした時に考えることがあります。

結局、研究者を辞めて良かったのか、辞めない方が良かったのか?

辞めて良かった

と分かり切っているのに、それでもグダグダ考えてしまいます。

でも、私みたいな性質の人間は、民間企業で就職した方が、間違いなく幸せを感じやすいと思います。

 

やりたい事をやるよりも、やりたくない事をやらない方が良い

これまでの40年余りの人生を振り返ると、私は、やりたくない事をやらずに済むような選択を繰り返してここまで来ました。

ここで私が言っている 「やりたくない事をやらない」 とは、

自分が 「やりたくない」 と感じる事をなるべく避ける、すなわち、

やりたい事があったとしても、それを実行し続けるためにはやりたくない事をやらなければならない場合、やりたい事を諦める

ということです。

反対に、 「やりたい事をやる」 とは、

自分が 「やりたい」 と思う事をやり続けるために、多少の犠牲も厭わない、すなわち、

自分がやりたいと思った事をやり続けるためならば、やりたい事をやる過程で発生するやりたく無い事もすべて受け入れ、ひたすらやりたい事をやり続けるために努力する

ということです。

例えば、結婚して子供がいる女性研究者が、アカデミックポストへの着任を求めていたところ、運良くポストが得られました。

でも、任地は現住所から遠く離れています。そして、任期は5年です。

夫は転職も退職も希望していないため、着任するためには、単身で、または自分と子供だけで引っ越さないといけません。

私は、この状況であれば、着任を諦めて、次のポストまたは就職先を探します。

なぜなら、子供と離れて暮らすなんて絶対にしたくないし、幼い我が子に、日常的に父親がいない生活もさせたくないからです。

一方、このサイトを一緒に運営しているリケ女1号もそうですが、こういった状況でも、意気揚々と(悩みながら、かもしれませんが)着任する方もいらっしゃいます。

生活のために譲れない一線がある
vs
夢を実現するためならばなんでもやるぜ!

とでも言いましょうか?

私は、30代半ばまで、自分は後者であると思って鼻息荒く生きて来ましたが、完全に前者だったようです。

歳を重ねるごとに、研究が自分が 「大切にしたい」 と思う対象ではなくなってきた、ということかもしれません。

やりたいことをやるにしても、まずは生活基盤を整えてから。

夫が、私から見て「安定しているな・これは一生稼げるな」と思う職に就いた時から、私は夫の任地から通勤可能な範囲でしか仕事を探さなくなりました。

日本全国どこでも行きます!という志でいないと、いや、その志でいたとしても就職が難しい研究者が、居住地周辺にターゲットを絞ったとして、着任できる可能性はとても低いです。

しかも、ポストの少ない地方とあれば、絶望的です。。。

私にも、任地を限定すれば着任の可能性が低いことなどわかっていました。

それでも、家族と離れて暮らしたくない、夫に仕事を辞めてほしくない、通勤時間はそれほど長くない方が良い、と、自分がやりたくない事をやらずに済む方を選択して来ました。

つまり私は、やりたい事をやるための努力はできないけれど、やりたくない事をやらないための努力はできる、すなわち、やりたくない事をやらないための選択を重ねて人生を送る人間なのです。

私のやりたく無い事は主に以下です

    • 家族が離れて暮らす
    • 親の都合で子供に我慢を強いる
    • 長時間かけて通勤する
    • 収入に見合わない労働を行う
    • 子供の教育に十分な収入が得られない状況に甘んじる

つまり、私が単身赴任はできないし、

夫が仕事を辞めて一緒に任地に来てくれたとしても、このご時世、1馬力で子供にやりたい事をなんでもやらせる程度の収入は得られないだろうからダメ。

夫の任地近くで働かないとダメだったのです。

いやー、今思えば、転居先でも夫の就職先は見つけられるだろうし、どうとでもなったと思いますけどね。

とはいえ、渦中にある時は 「どうとでもなるさ~」 なんて思えず、私は、やりたくない事をやらずに済む道を選び続け、その結果として今の状況(自宅近くの民間企業で就業)にあります。

なるべく多く幸せを感じたい

不満を感じやすい私にとって、自分が欲しいのに手にできない事柄が多いと、そちらばかりを気にしてしまい、手中の幸せに目を向けることが難しいです。

つまり、幸せであると感じるためには、

手に出来ない幸せより手中の幸せが多い

という状況の中で暮らさなければなりません。

例えば、私が単身赴任で任期5年のポストに着任したとしましょう。

その状況での私の幸・不幸は、主に以下のように表すことが出来ます。

    • 研究を続けられる:幸 5 pt
    • 子供のころからの夢を叶えた:幸 3 pt
    • 納得できる給与が支給される:幸 2 pt
    • 家族と一緒に暮らせない:不幸 10 pt
    • 5年後に職を失うおそれがある:不幸 5 pt

つまり、トータルでは、

幸 10 pt : 不幸 15 pt

で、幸せを感じることもあるけれど、全体的には不幸を感じてしまう、という結果になってしまうのです。

私は、「幸せだな」 と思う時間がより長い人生が、より良い人生であると考えているので、

幸 < 不幸

の状況では、「良い人生だったな」 と思いながら人生の幕を閉じることは出来ないと思います。

では、民間企業に転職した今の状況はどうでしょう?

    • 研究が続けられない:不幸 5 pt
    • 子供のころからの夢を諦めた:不幸 2 pt
    • 研究職に未練たらたら:不幸 1 pt
    • 家庭を維持するに十分な給与が支給される:幸 3 pt
    • 毎日家族の顔が見られる:幸 10 pt
    • 正規雇用されている:幸 5 pt
    • ライフワークバランスが劇的に向上した:幸 2 pt
    • 仕事がぼちぼち楽しい: 幸 1 pt
    • 自己肯定感が高くなった:幸 2 pt

幸 23 pt : 不幸 8 pt

となり、総合的には幸せを感じています。

こういった結果になったのは、私の性質が以下の通りだからかと思います。

    • 色々なことに不満を感じやすい
    • 家族が好きで好きで仕方がない
    • 諦めが良い

もし、今、進路やキャリアで悩んでいるリケ女さんがいらっしゃったら、こんな風に、幸せポイントと不幸ポイントをリストアップしてみると、良い判断基準になるかもしれません。

研究を続けられる:幸 300 pt

の方や、

家族と一緒に暮らせない:不幸 2 pt

の方など、

色々な幸・不幸の感じ方をする方がいらっしゃることでしょう。

その中で、転職後の方が幸せポイントが高くなると想定されるよう方は、思い切って転職してみるのも良いかもしれませんよ

学生時代の指導教官には見抜かれていた

私は、子供のころから研究者になることを夢見ていました。

大学の学部生の頃から、博士課程に進学することは自分の中決まっていたし、早い時期から研究室に所属して研究を始めていました。

学部、修士課程、博士課程と通して同じ研究室に所属していました。

そんな中、博士課程に進学する頃、

「お前みたいなやつは、博士課程へ進学して研究者を目指すには向かないと思う」

と指導教官に言われました。

そんな~、どビックリですよ~。

指導教官曰く、研究者に向いているのは、世間に対してとことん無頓着な、一般に “変人” といわれるような人物であり、私のように、結婚願望も家庭に対する執着も強い人物は、途中で嫌になる可能性が高い、とのこと。

当時は、周囲の学生より多くの成果を上げていたし、自分こそ研究者に向いている人間だ、とも思っていたので、心外に感じる部分もありました。

でも、今となっては、さすが先生。学生のこと良く見てますね~。ってなもんで、本当に、自分には研究者としての生き方は向いていなかったんだな、と思います。

大学の教員って、ただ研究者として優秀であるだけでなく、こういう風に学生をしっかり見て指導していくことも大切なんでしょうね、きっと。

残念ながら、血気盛んな私にはせっかくのご指導も全く届かなかったのですが。。。

あ~、なんだか指導教官のことが懐かしくなって来ました。

COVID-19が落ち着いたら、良いお酒を買って、同級生を誘って逢いに行こーっと。

リケ女2号の私見に満ちたひとりごと

私は、やりたくない事をなるべくやらないように生きて来たため、今、自分がやりたい事をして収入を得ることは出来ていません。

今、幸せだし、自分の人生に満足していますが、やりたいことに向けて突っ走る人に対しては、尊敬ともあこがれとも言えるような念を持っています。

やりたい事をやっている人って、やっぱり輝いていると思います。

キラキラ輝いています。眩しいっす。。。

結局、私に夢を叶えるだけの力が無かった、というだけの話なんですけどね。

子供が産まれたばかりのころは、研究を続けるために数年間夫と別居していたこともありました。

でも、一度研究者のレールを外れてしまった今となっては、もう、あの頃には戻れないな、と強く思います。

また、率直に述べさせていただくと、ある程度能力がある人は、民間企業での方が能力を評価される機会も増えるし、たくさん稼げるんじゃないかな?と思います。

民間に転職した時、研究者時代の職場には優秀な人が集まっていたな~と感じました。

もちろん、民間にも優秀な人はたくさんいて、日々、この人には適わないな~と思う事ばかりなのですが、それでも、研究室のみんなは優秀だったな~と思います。

ここでの 「優秀」 とは、

質の良い教育を受けてきた

という意味ですが、文章の作成能力やプレゼン能力、状況を読み取る力やデータを読み取る力のある人が多かったと感じます。

そういう状況ですので、良い研究者になるための教育を受けてきた人物であれば、民間企業に転職後も、「仕事が出来る」 と周囲に思わせることが可能だし、やりがいのある業務に従事する機会も増えるし、昇給やインセンティブを受け取る機会も多くなると思います。

まぁ、研究を諦めてしまった私が言うと、「すっぱいブドウ」 感満載になってしまって残念ですが、それでも、

幸せは研究室の外にも存在する

ということを、ここに大きな文字で記します。

 

【↓ 私は自宅近くの人材紹介会社で転職先を決めましたが、オンラインでの転職サービスもたくさん利用しました。その中では、dodaさんが一番利用しやすくて良かったです。おかげさまで、かなり条件の良い職場も1か所内定をいただきました(今の会社の方が自宅に近かったのでそちらには決めませんでしたが)。】

【↓ 転職を考え始めたら、まずは軽い気持ちで色々な転職サイトに登録してみましょう!サイトによって、エージェントさんによって、合う・合わないがあります。より多くのサイトに登録することが、自分に合った転職を成功させる早道です!!】


「民間企業に転職して幸せを感じる人」への2件のフィードバック

  1. おやビン
    私1号、現況の幸せポイント
    すくなすぎるかも。

    • 研究を続けられる:幸 5 pt
    • 子供のころからの夢を叶えた:幸 3 pt
    • 納得できる給与が支給される:幸 5 pt
    • 家族と一緒に暮らせない:不幸 8 pt
    • 5年後に職を失うおそれがある:不幸 10 pt
    不幸 18 幸せ 13

    • 研究が続けられない:不幸 2 pt
    • 子供のころからの夢を諦めた:不幸 2 pt
    • 研究職に未練たらたら:不幸 5 pt
    • 家庭を維持するに十分な給与が支給される:幸 5 pt
    • 毎日家族の顔が見られる:幸 10 pt
    • 正規雇用されている:幸 10 pt
    • ライフワークバランスが劇的に向上した:幸 5 pt
    • 仕事がぼちぼち楽しい: 幸 5 pt
    • 自己肯定感が高くなった:幸 5 pt
    不幸 9 幸せ 40

    1. 1号ちゃん。。。
      元気を出すのよ!!
      今はコロナで移動が制限されて家族に会えなくなっちゃってるし、いつもより心の元気が無いって事は無い?
      心の元気が無い時にポイント化をすると、現状とは異なる方を幸せと感じる結果が出やすいと思う。

      採点項目は、もっともっと、自分なりに細分してポイントを付けた方が良いよ。
      私には判断基準にならなくても、1号には大切な項目もたくさんあるはずだから。

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