実は修士課程で就活していました

今回は、私の過去の就活経験(修士版)を、書いていきます。

ワタクシ、確固たる就職先を決めていたような、いないような、ぼんやりとした未来への就職希望を持っていました。学部の時にしたかったのは、親の偏愛と、病気から、受験を疎かにしてしまった自分のためにもう一度学び直したいと思ったことが、大きかったように思います。大学院でプラスαの勉強をするという確固たる希望はありました。研究については、少々前のめり気味に一生懸命だったと思います。大学の先生と話して、新しい発見について会話することも、褒めてもらうことも、楽しかったのです。

ところが、困惑したのは、大学院に上がってからです。

より新しい研究や勉強を始めましたが、すぐ、就活シーズンがやってきました。

大体、夏が終わると就活の準備が始まります。この修士の時、全く、全く就活に身が入らなかったのです。

でも、就活しないわけにはいきませんでした。なぜなら、大学院で博士に進学するのは明らかに少数派です。時々幽霊のような顔をして歩いている先輩を横目で見ては、こんな未来、私にはむり、と博士への憧れを持ちつつある自分を戒めていました。せっかく博士号を取得しても、未来が確定されていないような称号なんて、選んでも損するんじゃないか、と価値を疑ってもいました。そして、当時所属していた研究室の先生は、博士になったとしても就職先の面倒を見てくれるような人ではありませんでした。

修士1年の年度末に、運よく選考が進んだ会社が1社あったのですが、その頃にちょうどいい実験結果が出てしまったのです。そこで、悩み悩んだ末、選考を辞退してしまいました。今思えば、そこが人生の分かれ道でした。

以前病気をしたと書いたことがありますが、人生を左右するような、当時の状況で、過去の病気について思い出していました。

あの時、もう10年も生きられない、と思ったことを、思い出すと、今が奇跡に思えてくるのです。

今、元気な体で挑戦できることは凄いことだ、

とか、

人生は1度しかないから、少しでも可能性があるなら、清水の舞台から飛び降りればいいじゃない。

みたいに、過去に体調不良で苦しんだ経験が、より、人生の決断を大胆にさせていくわけです。

何より、博士課程に進学を決意した頃に決めた理由の一つは、おそらく、自分次第でいつでもやめられる課程だからです(全て自分次第なのです)。

博士課程は、中退者が多い過程でもあります。もうダメだと思ったら、自分が潰れる前に、すぐに中退して就活をしようと考えていました。私は、一般的な家庭で育ち、とてもケチな金銭感覚を持っていて、大学院への進学にお金を使うことにとてつもない罪悪感を感じていました。だからこそ、いざという時の自分の決断力、行動力を信じていました。

こんな感じで、就活をある程度経験してから、博士に進学しました。

その後、博士に進み、死闘ずくしの3年間を過ごしましたが、この三年間は人生に二度と味わうことができない、かけがえのない経験だったと思います。

でも、今でも、あの時あの会社に入っていたら、どうなっていたんだろう、とよく考えます。

実は、いつも、博士以外の道(研究者以外の道)に、後ろ髪をひかれる思いでした。就活しても、それなりに、楽しく社会人生活やそこから広がる出会いを謳歌していたように思うのです。就活で出会った人の中には、大学院に進学し、研究室に籠っていたら会えないだろうな、と思うようなスーツが似合うかっこいい人や、活気のある可愛いい子がたくさんいました(当時一緒に就活していた同期の女子も同じことを言っていました。特に異性との出会いの数が、全く違うと、、)。

当時一緒に就活していた彼ら、彼女らは、私とは比べられないくらい、きらびやかな20代を送っていたんだろうな〜と羨ましく思います。実際、就職して一年目の同期の女の子達が、自分で買った華やかなブランド小物たちを自慢してきた時には、死ぬほど羨ましかったです😬

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