離婚のハードルが下がった気がした年末年始

 

元々他人だった人が、所帯を同じくして一緒に暮らすというのは本当に大変なことですね。

ただの友達だったら、許せる個性が、いつも一緒にいなければいけない家族、夫の場合は、生活に支障もでき、許せないことがあります。直してほしい性格、くせ、生活のしかた、考え方の違いも見えてくるのですよ。

結婚は難しいな、

と常々思います。

私の場合、夫に対して気になったところは概ね、そのままストレートに伝えてしまいます。

一緒に暮らすと本当にいろいろいろいろ、気になる部分は出てくるのです。

多分これを言ったら嫌われるだろうな、ということも、すべて吐き出しています。義両親への不満も全てくまなくぶつけています(実母には、そんなことまで言ったらあなたの夫がかわいそうだ、と心配されました)。もちろん夫の反発もあり、意見が合わず喧嘩になることもあります。

はたから見ると、私たちは夫婦円満に見えるそうで、夫も人当たりの良い人に見えるらしいですが、いつもそうでもないのです。

夫にはとんでもなく頑固な面もある。自分の今までやってきたやり方、考え方はなかなか変えない。

特に子育て方針においては、私の考え、教え方と対立することがあり

意見を言い合った末、大喧嘩に発展・・なんてことがよくあります。

 

年に数回、大喧嘩をするときは、

お互いの意見も合わず、口喧嘩も収集つかなくなり、繰り返される会話が全て、互いの批判になり、

批判の大合戦、がしばらく続いた後、

不毛だ、こんな関係、

もう別れてやる!

と、指輪を外す瞬間があります(主に私が外します)

夫はどちらかというと、相手の気持ちを尊重できる人で、男尊女卑の固定観念も薄い方です。

普通に仕事の現場でも、人格者として扱われているような人です。でもそんな夫でも、私に指摘されること、注意されることは、自分のこれまでの価値観を否定されるようで、受け入れがたいこともあるようで、

私から見ると、とんでもなく頑固だ思うような時があります。

やっぱり夫のプライド高いな!私が指摘しようとも、私にとって気になる彼のクセは治らないな

と、諦めモードになる時もあります。

 

この年末年始は、久しぶりに長い間、夫と過ごして、久しぶりに喧嘩をして、やっぱり家族って難しい、と再確認した年の瀬でした。そして、改めて自分の経済的自立ぶり、自分の社会的地位から来る自信、が顕著になった気がしました。

まさに

妻の経済的自立=夫の家庭内の地位低下・・

今までよりも離婚の2文字がやけにくっきり頭に浮かぶんですよ。離婚届の様式まで思い浮かべてしまいました。

正月休みを終えて再び別居生活に戻り、さて、どうしようか、と空き時間にいろいろネットで調べ、早速離婚手続きに取り掛かっちゃおうか、と頭が離婚の2文字でいっぱいになっている時、

ふと見つけた詩がありました。そして

不覚にも、その詩を読みつつ、目から大量の塩水を流してしまいました😭。

こんなこと、誰も教えてくれなかった。

親でも言ってくれなかった。誰からも、言葉では聞いたことはなかったけれど、確かにその通りと思う。そんな、人間の真理、のようなことが、その詩には書いてありました。

気がつけば離婚の2文字はあっさり頭から消えていました。

理系の私は、自然現象、物事の起きる仕組み、生物の生きていく仕組み、を事細かに理解することを仕事にしてきたけれど

その仕事は、人を思いやり、夫婦生活を続ける上では何も役に立っていないのではないか、と、自分のやってきた仕事の意味が打ち砕かれた、詩でした。

時々思い出して読んでみよう、忘れないでいよう、と思ったので、ここにも書いておきます。

吉野弘さんという方が書かれた「祝婚歌」

という詩です。

有名だそうですが、今まで知りませんでした。結婚とは、夫婦とは、、正しいことを言い合い、理屈づくめで意見を戦わせ、互いのダメな部分を指摘して修正し、高め合うような関係、ではないのだと、思いました。

 

 

 

 

 

 

 

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