オーストラリアの朝焼け。研究の魅力は海外で個人の存在感を示せるところにもあるかもしれません。*記事の内容とは関係ない画像です。

妊娠でキャリアが終わる?

妊娠したと報告すると、突然、来年度の仕事の更新ができなくなった😱😱😱というお話です。

研究員は年契約で雇用されることがあり、年度末に毎年雇用更新されて雇われる人が多くいます。この、年契約の仕事を続ける上では、妊娠はとにかくマイナス面が大きいのです。すなわち、キャリアの終わりを覚悟する羽目になります。

これまでのキャリアが無になることが怖くて、出産と仕事の2択で迷う女性は多いと思います。研究者の場合は出産と仕事の両立は本当に厳しくて、出産はこれまでのキャリアを、容赦なく奪われるような厳しい環境に置かれるのです(妊娠、出産の体力的な負荷は、予想以上のものでした)。出産なんて恐れずすればいいよ👍。といつも楽観的な私でさえ、出産後の前途多難さには心が折れそうでした。

私が妊娠したときは、自分で仕事の年度更新をするかどうか、考え始める以前に、更新の可否を勝手に決められたことがありました。特に、母親世代の、仕事をやめさせようとする勢力(これからは仕事はほどほどに、という勢力)がもの凄かったのを覚えています(うちの母はほどほどに派でした)。一人で産んで、育てる選択はかなりきついですが、お金をかけたり夫に頼れば、できないこともないので、仕事の継続については、まずは自分で考えさせて欲しかったです。男性よりも女性から、妊娠して仕事を続けることに冷ややかな視線を向けられたのです。

私の場合、当時の上司の奥さんが陰ながら私の命運を左右したのでした。私が上司に妊娠を告げた日、彼は奥さんに私が妊娠したことを相談したそうです。そして、奥さんには、ここで仕事をしながら子育てすることは難しいだろうと言われたそうです(母も同様の意見だったので、この世代の女性としてはまっとうなことを言っていたと思います)。それを真に受けた上司は、その翌日に私の雇用の年度更新をやめると私に宣言し、私のポジションの後任候補にまで考えをめぐらせ、第一候補の人に来年度の雇用の話を進めていたのです。

当時、まだ、妊娠継続できるかわからないような妊娠ごく初期の状態に、自分の仕事の継続を勝手に判断されたことに、私は、

頭が沸騰したことを覚えています👹💨

それでもって、その上司が、00さんはこれから何でも、できるけど、僕はあと数年、@@の研究をどう続けるか考えなければいけない。だから、このテーマをどう続けていくかついて考えて欲しい

と私に対してのたまふのです。

え?わたしだって、今までやってきた@@の研究をどう続けるか、まだまだ考えるつもりですけど?わたしがこれから、この研究をやらないとでも思ってるの?と

さらに頭が沸騰したのを覚えています👹💨💨

ーーーーーー私は、まことに気が強いおなごです。

お世話になり、推薦書も幾度となく書いてもらい、今も尊敬する上司ですが、この時ばかりはデリカシーのなさに絶句してしばらく顔も見たくありませんでした。

何故、こんな風に具体的に、言われたことを覚えているか、と、いいますと、研究ミーティングと称して以上の話が始まったので、動揺のあまり、当時手元にあった、実験ノート(研究者が実験の過程を書き記すためのノート)に、言われたことのキーワードを書き写していたからです・・。そしてミーティングのあと、その会話の内容を忘れないように、会話全容の議事録を実験ノートにかきました(もはや自分が怖いです🙈)。

ちなみにその後、私は研究を続けるという意思を、周囲に示し続けました。そして、研究は、これまでとほぼ同じテーマでパート待遇で続けられる状況になっていったので、周囲の先生方のご配慮には感謝しています。でも一応続けられるとしてもお小遣い程度のお給料で、その後貯金は一気になくなるという、なかなかにきつい状況でした。

それまで、少なくとも研究業界にいるときは、男女不平等について感じたことはほとんどありませんでした。でも、妊娠したあとは、日本特有の不平等な世界を、伝統として押し付けられた心地がしました。その伝統は、もう少し前の時代では、もっと強力だったと思います。私が大学院進学を決めた頃は出産して研究を続ける人はごくわずかで、子育てしている女性研究者が少ないことはずっと気になっていました。私には身近におやびんのような先輩が数名いて、彼女たちは結婚・出産に積極的だったので、彼女たちを見習うかのように、結婚しました。

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