お散歩中にであったとてもキレイな虫。たぶんハンミョウ。自然の色ってどうしてこんなにキレイなんでしょうか?ついつい見とれてしまいます。

気が付いたら結婚してました

夫とはお互いに学生の頃、私が大学院の博士課程2年生の時に出会いました。

出会って半年ほどで付き合い始め、付き合い始めた翌月にはどちらからとも無く将来的には結婚しよう、と話しており、交際2年目で同棲生活をスタートしました。

私はとにかく結婚願望が強かった

同棲を開始してからは、学生結婚も全然OK、結婚願望はエベレストより高いのよ!さぁ今すぐ結婚しましょう!と結婚に超前向きなアラサーの私とは対照的に、

私が学生であるということや、職場が漆黒のブラック企業であるということもあってか、夫は、今は結婚すべき時期でない、と結婚に後ろ向きでした。

結婚して10年以上経過している今思えば、すでに一緒に生活しているし、夫は将来的には私と結婚すると言っているし、おまけに私の生活費を出してくれているし、

子供ができたわけでもないし、お互い不安定な状況だし、結婚なんていつでも良いじゃないか、と思うのですが、

その頃の私はどうしても結婚したい、早く子供がほしい、という願望で周りが全く見えなくなっており、

結婚情報誌のゼクシィをトイレに置いて夫(当時は彼氏)にプレッシャーをかけるなどの暴挙に出ていました。

この、ゼクシィをトイレに置くことを含め、結婚を迫る、プロポーズしてみる、などのアプローチは、夫にはかなり逆効果だったようで、これらの行動によって結婚に前向きになることは無かったばかりか、かなりうんざりしていたそうです。。。そりゃそうだ。

博士留年中なんだから、そんなこと頑張る間にしっかり研究して論文の1本でも書けば良いのに~、とアラフォーの私は思いますが、当時の私は、結婚が決まった友人にメラメラと嫉妬心を燃やしてしまうほど、結婚願望が強かったのです。

アカハラがひどい、なかなか博士が取れない、などの状況から、研究に対するモチベーションが下がっていたということもあるかもしれません。

ある日突然状況が変わった

そんなある日のこと、50代で元気いっぱいだった母が突然体調を崩し入院しました。

医師曰く、命に関わる病気を患っており、今生きているのが不思議なぐらいの状況だ、手の施しようは全く無く、いつ事態が急変してもおかしくない、とのこと。

母は自分の状況を理解しており、私の結婚式や、子供を産んだ時のサポートについて心残りがあると言うので、

その気持ちにどれだけ応えられるかはさておき、病室で結婚式の真似事でもしてみよう、ということになりました。

ドレスとタキシードをレンタルし、それを着て、「結婚するね」と母に告げて結婚指輪を交換する、たったそれだけでしたが、

「絶対に幸せにするので安心して下さいね」と母に告げる夫の頼もしい姿を見ることもでき、なかなか良い時間が過ごせました。

私はこの日のことを、

結婚したわけではない、母の病室でドレスを着て歓談しただけだ

と認識しており、また落ち着いたら改めて結婚と結婚式について検討しよう、と考えていました。

どうやら結婚していたみたいです

ところが数日後、実家で過ごしていた私の元に夫から、

「社長が結婚祝いに3万円くれた」

と、電話が来たのです。

結婚もしていないのに結婚祝いとはこれいかに!?

と、私はかなりビックリしたのですが、夫曰く、結婚指輪を着けて出勤したら同僚にどうしたのか?と訊ねられ、「結婚した」と答えたところ、社長が結婚祝いを下さった、とのこと。

むむむむむ。。。

そう言われてみれば、私は、

これは結婚式ではなく、本日を持って結婚するわけではない

と思っていましたが、それを夫に伝えたかどうかと言われると、伝えていなかったかもしれない。。。

なるほど。夫はあれで結婚したと思っていたのか。。。

なんと、コミュニケーション不足がたたって、あんなに結婚したがってた私が、自分も知らないうちにいつの間にか結婚したことになっていたとは。

まさに晴天の霹靂でした。

とはいえ、職場で結婚したと報告して、結婚祝いをもらって来たとなれば、驚いてばかりもいられません。

母の葬儀も終わり落ち着いた頃、天気の良い休日に夫と2人で自転車に乗って役所に行き、婚姻届を提出し、私達は晴れて夫婦になったのでした。

その後、「結婚式は嫁の家族を呼んでこっちですませた(←おいっ!!)」との夫の言葉で慌てた義両親が(そりゃ~慌てるでしょう)、夫の親族だけを集めた結婚式を実施してくれたこともあり、いわゆる挙式・披露宴はやらず仕舞いでした。

※夫からは「妻を親戚に紹介するお食事会」としか聞いていなかったのですが、会場に行ったら、えらく大げさな着物を着付けられるわ、義父が「本日は息子夫婦の結婚式に参列下さりありがとうございます」と挨拶するわで、なるほど、これは結婚式なのね、と認識した次第です。

今になってちょっと反省してる

この出来事を振り返ってみると、いくら母の件でバタバタしてまともに物事を考えられる状況で無かったとは言え、コミュニケーション不足にも程があったな、と思います。

気付いたら結婚していたことについては、どうせいつかは結婚したんだから良いきっかけだったかもね、まぁいっか。程度にしか思いませんが、

結婚式場を予約して行うような挙式・披露宴ができなかったことについては、夫が大切に育てられた1人っ子であることもあって、義両親に対して、ちょっとだけですが申し訳なく思っています。

義実家での結婚式の当日に、夫も

「え?結婚式なの??」

などと大層驚いていており、この件に関して親とまともに話し合っているとは思えませんでした。

私は、といえば、私達夫婦の間に結婚前からあった、

“自分の親のケアは自分で”

というルールに則り、日頃からそちらの事はそちらでお願いします、というスタンスでいる上に、

母が他界した直後に、義母から電話で

「具合が悪くなってからたったの2週間で亡くなっちゃうなんて可哀相に、いったいご家族は何してたの?」

「年取ってからダイエットなんかしてるから、そうやって病気に勝てなくなっちゃうのよ」

などと言われ、義母に対して嫌悪感が募ってしまい、

義両親のことなんて知らね~

というやさぐれた気持ちになっていたため、結婚式について義両親と話すことは全くありませんでした。

そんな状況だったとはいえ、結婚という義両親にとっても一大事のことに対して、配偶者が親とまともにコミュニケーションをとらない人であることを知りつつ全く配慮をしなかったのは、人としてイマイチだったな、と、ほんのちょっとだけ反省しています。

どんなに嫌いな相手でも(←おいっ!)、自分に恥ずかしくない対応をしなきゃいけないな、と、アラフォーになりようやく分かりかけて来ました。

遅いけど。

 

母は、体調を崩してからわずか2週間で他界してしまいました。

2週間という短い間に、母の死と向き合ったり結婚したりと、人生の一大事を2つも経験しました。

私にとって結婚記念日は母の死を連想させるもので、母の死後数年間は悲しい気持ちでその日を迎えていましたが、最近になってようやく、

2人でのんびりと自転車で役所に向かった道中の景色がきれいだったことや、

休日窓口にいらした警備員さんが私達の婚姻届を受け取り、満面の笑みで「おめでとうございます」と言ってくれたことを思い出し、

暖かい気持ちで結婚記念日を祝うことができるようになりました。

リケ女2号の私見に満ちたひとりごと

結婚って、できない時にはどんなに頑張ってもできないし、する時にはあっさりするもののように思います。

ただ、夫と交際中の私は、常に結婚に前向きで、結婚に関わる選択は全て結婚に向かう方を選んでいたので、これが結婚に繋がったのは間違いなさそうです。

挙式・披露宴については、20代の頃はもの凄くあこがれたけど、今となっては、無駄金使わずに済んでラッキー、と思っているので、マストアイテムだとは思いません。

親になった今でこそ、相手の親の想いも大切だとも思いますが、結婚した頃にはそんなことは一切考えていませんでした。

なので、将来子供の結婚に際しては、余計な口は挟まず、100 % 子供とその配偶者の望むように対応できたら良いな、と考えています。

そして、この件では、

え?息子ってこんなに親と話さない生き物なの??息子なんていらないなぁ。。。

と思ったのですが、いざ産んでみたら男の子の可愛らしさにメロメロです。

読んで下さってありがとうございました😊

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