改めて自己紹介します。
経歴は、だいたいリケ女2号さん(文中では「おやびん」と呼ばせてください)と変わりません(手抜きですみません)。科研費取得率は、おやびんほど高くないです。子供は一人です。博士号取得、その後結婚出産を経て、今も細々と研究を続けています。
コロナ騒動下で、めまぐるしく変化する世の中ではありますが、大学院時代の思い出や、私生活、仕事、結婚子育てについて書き連ねていきたいと思います。まずは自己紹介がてらに、理系の大学院とは何か、ということを少し、説明します。
私は大学で理学部に在籍していたのですが、大学4年の時に、研究の世界にもう少し広い選択肢でもって、足を踏み入れてみたい、と思い、大学院の受験を決意しました。
大学4年生では、大学の研究室に所属して卒業研究を一年間行います。私が所属した研究室の先生は、とても淡白な人柄で人間に興味なさそうな先生だったのですが、当時やらせてもらった研究が想像以上に楽しかったのをよく覚えています。研究室に所属して、先生と研究結果について議論した時、見えてきた新しい発見に鳥肌がたった、というのが、大学院進学への一番のきっかけになりました。
大学院に進学する際には、まず所属する研究室を決めなければいけません。以前から知っている先生だったり、とにかく興味が持てそうな研究室をインターネットで探してみて、その研究室の先生に連絡を取って研究室訪問をしてから受験をします。
私は、3件ほど研究室訪問して、当時はかなり悩んで進学先を決めました。そして大学院進学への決断は、限られたギリギリの期間(4ヶ月ほど)で決めたもので、大学4年の、研究室に所属してからの4月から7月はその後の運命を決めたとても濃密な時間になりました。
そんなこんなで翌年には、大学院に進学し、とある研究室にて修士課程の学生として在籍することになりました。
大学院では授業もありますが、大学での生活の大部分は研究に費やされます。研究室に所属して自分のテーマをもって研究を行い、研究内容をまとめて論文にする、というのが大学院での主な教育内容になります。大学院では、修士課程(マスターコース)と博士課程(ドクターコース)があり、最初は修士課程として2年間過ごして修士号をとります。その後、より本格的に研究者を目指したい人は、博士過程に進みます。博士課程ではfirst author(第一著者)としての論文を出すことが課せられ、論文を出し、研究をまとめた人だけ、先生方の審査を経て博士の称号を得ることができます。
お金も大学生以上にかかるので、親の理解がなければ大学院進学は将来の選択肢にもあげられません。うちは普通のサラリーマン家庭で、実家は地方の田舎にあるので、大学院に行きたい、と両親に伝えた時、一番に心配されたことが、お金のことでした。
大学院に進学する人の大部分は、いいトシして仕事をしているわけでもなく、学費も支払わなければいけないので、贅沢とは無縁の生活を送ります。なかには、お金の心配もなくリッチな生活を送る学生もいましたが(社長令嬢や御曹司風の人もいました)、ほとんどの人は奨学金を借りて大学院に行くので、博士課程まで奨学金をもらい続けるととんでもない額に膨れ上がります。(私は未だに奨学金返済中です)
余談ですが・・コロナ騒動下にあって、改めて実感するのは、学生時代の名残で、必要最低限の生活や、人に会わない引きこもり生活に、慣れすぎている自分のたくましさです。大学院生活には、密林でサバイバル生活を送るような、高山で修行をするような、どこか浮世離れしたものがありました。学生のころは、日本国憲法にある、「健康で文化的な最低限度の生活」の一文を時々思い浮かべていました。昔社会の授業で習った国民の権利についての、この一文を頭に思い浮かぶほど、最低限度の生活を追求していた頃もありました。
でもそんな状況でも、自分は貧乏だと卑屈に思ったことは、ほとんどありませんでした。その理由は、研究を通して最先端の科学に触れ、時々でも研究がうまくいくことに悦に入っていたからだと思います。(書いていて自分が変人に思えてきました)
そんなに恵まれた状況になるわけでもないのに、大学院に行く意味はなんですか。とは、よく聞かれます。大学院でも、いいことばかりあったわけでもなく、研究をしていても辛いことがたくさんあるので、その質問に答えるのはとても難しいです。とにかく魅力的だったんですよね。としか言いようがありません。きっと誰に聞かれても、その人の納得のいく答えをいうことはできない思いますが、私にとっては、大学院進学は魅力的な選択肢であり、これまでの人生を振り返っても、もちろん意味はありました。(この魅力についてはいずれまた、どこかで書きたいと思います)
私が進学した先の大学院では、同期や先輩も個性的な人が多く、特に女性は、力強くて面白い人がいて、そこでしか出会えないようないい出会いも、たくさんありました。